せきしゅう さわのごう いわみぎんざんかいどう ここのかいちじゅく

5月8日(日)、石見銀山地質研究会主催の『銅ヶ丸を見る』に、美郷町銀山街道を護る会の会員6名と共に参加した
地元美郷町にありながら、邑智町史の中でしか知らない銅ヶ丸鉱山。鎌倉時代初めから安土桃山時代に掛けて、15代に渡り当地を治めていた佐波氏の2代目清連の時代に開発されたとされる銅ヶ丸鉱山。隆盛を極めた明治20年代にはインクラインを有し、その動力源の発電所を備え、電灯・電話・鉄道馬車などがあり、島根の近代文化の発祥の地と言っても過言ではなかったようだ(銅ヶ丸鉱山むかしむかし〜地質調査研究所鉱床部金属課服部富雄氏の研究文書)。
美郷町内に残る産業遺跡の一端を垣間見る事が出来、感動の連続の充実した楽しい一日だった。企画・お誘い頂いた石見銀山地質研究会の松浦会長、ありがとうございました。



開会式
9:30、江川支流田水川の一番手前の支流今津川入口の駐車場に20名余りの参加者が集合。開式の挨拶の後、講師の小さな自然舘(同館のサイト内の『銅ヶ丸へ行こう!!』はこちらから)の反田館長の紹介、参加者の自己紹介があり、松浦会長の挨拶の後、簡単なストレッチ体操があった。
往路
10:00出発。何箇所も滝のある今津川を遡りながら、途中反田館長の岩盤の説明などがあり、国内でも珍しいとされる『緑青の滝』の傍では、緑青?を使った銅めっきの実験があり皆さん感動しきりだった。
ずり場・ガレ場等があちこちにあり、左右の岸にはトロッコ道と見られる構造物の残骸も見られ、往時が忍ばれた。
明清坑露頭にて
12:00、明清坑露頭到着。皆さん、腹が減ったとのことで食事。食後に記念撮影。反田館長の破砕帯などの講義の後、明清坑口へ。大きなもので内部は3段になっているようだ。一番下は斜めに降りており60m以上あるようで、滑り落ちると大変なことになりそうだ。皆さん坑口付近で、トンチントンチン。
孔雀石柘榴石黄銅鉱黄鉄鉱など目的の鉱石探しに夢中。賑やかな方々ばかりで、楽しくワイワイやっておられた。
6,000万年前くらいの鉱床ということで、山頂の岩にも何かしら異様な雰囲気があり行って見たかったが・・・、残念ながら今回は行けなかった。次回は・・・・・。
復路
13:20、皆さんリュックが重たくなるほどに詰め、『ずり』を降り始めた。14:15、何事も無く(約1名、石の上で滑り尻が濡れたが・・・・)無事に駐車場に着いた。
解散式
14:30、次回の開催を要望し解散となった。皆さん御疲れさんでした!!


銅ヶ丸を見る