せきしゅう さわのごう いわみぎんざんかいどう ここのかいちじゅく

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ちび太のワン言2012〜1月〜4月

4月25日(水)
快晴後曇り
後小雨
火災多発警報発令!!
をしてください!!!!!!
昨日(4/24)、川向こうで山林火災があり、近くに居た人が全身火傷を負い今朝方亡くなられた。一度は火の中から助け出されたのだが・・・・。煙に巻かれ火に囲まれ気道を焼かれ衣服を焼かれ、全身火傷で痛みで全身が痙攣、外因性ショック死ではなかったのかと思う。こんな悲惨な痛ましい人身事故を起こす火災・・・・・。出火原因は不明との事だ。ご冥福をお祈りします
問題なのは、その現場は農道から少し高手にあり見えにくいこと。そして、火災発生後農道を通った人(しょっちゅう其処を通る)が居て煙には気が付いていたと言うこと。結局煙が出ていても気に止まらないと言うことは、あちこちで野焼きが行われて居ると言うことだと思う。特に家の周りの野焼きは、家火事が発生していても気に止められないと言うことは大火災に繋がる。
先週配布された町配布の文書の中に、野焼きに関する消防署?からのチラシが有ったと思う。軽微なものでも・・・・・とあった。軽微なものでも届出制にし出来るだけ認めないようにしないと、野焼きによる火災は防げないと思う。全国的に見て火災発生原因の中で野焼きが原因のものが何件・何%、その内死者は何人・何%と、データーを示し、野焼きは絶対駄目だと知らしめて欲しい。
自分は大丈夫と言う人が居る。まとめてやれば大丈夫。土を掛けていれば大丈夫。と言って『くよしぐらい好いだろう』と、言う人が居る。自分が犠牲になってからでは遅い。自分ひとりの犠牲では済まない。家族・近隣の人に多大な犠牲・迷惑・損失を生じさせる。止めよう!!野焼き!!!!
行政・消防・警察は今回の事故を教訓に、連携して、毎日巡回し、野焼きを徹底して潰して欲しい。煙が出たら火事しかない・・・と言える町にして欲しい。美しい郷を煙(涙)で曇らせないことを望む!!
4月16日(月)
曇り一時晴れ
夜桜
先週の木曜日(4/12)、7時前夕食を摂らずに(晩酌をしなければ・・・・)夜桜を撮りに出かけた。暖かい夜だったので彼方此方で撮影される方を見掛けた。九日市から石原まで撮り終えたのは9時を回っていた。石原の桜茶屋にお邪魔し、お茶を一寸だけ頂いた(帰ったら待っているものがある・・・・・)。
4月13日(金)
雨後曇り
カメラ爺
昨日(4/12)は思わぬ天気となり桜が一気に5分〜8分咲きとなった。
昼には快晴と成ったので前川桜の写真を撮りに行く・・・・・、うん?誰?!nagatosann?!今朝開花情報を電話した口和のnagatosannだ。今朝は、昨晩電話した頓原のtatiesannが5時半過ぎに来て8時前に『じゃー、帰るわ〜〜』と言って帰った。二人ともカメラ小僧ならぬカメラ爺だ。
4月10日(火)
曇り
森原古道史跡公園竣工式
8日(日)に森原古道史跡公園の竣工式があり、工事・自治会・行政・議会など関係者多数が出席、私は『美郷町銀案街道を護る会』を代表して出席。森原古道を起爆剤に沢谷・美郷町の活性化を・・・・・、と思いをい新たにした一日だった。
竣工式(画像はhigakitatuoさんに提供頂いた)
公園施設
少し残念な事が・・・・。
※先ず掲示板。何故史跡として保存するのか、何故大事なのかと言う説明が一切ない。遺構の写真・切図について解説がない。竣工式の資料に添付されてい  た新聞記事くらいの解説は、欲しかった。
※次に古道への案内板がない。駐車場から田圃のほうへ降りても何処が古道なのか外部の人にはわからない。古道と立て障子の道の交差点に、『石見銀山   街道尾道道』下へ向かっては九日市・浜原・小原・大森へ何里、上へ向かっては赤名・三次・甲山・尾道へ何里・・・位の道標は欲しかった。
※そして遺構が見られないこと。遺跡は埋め戻し保存が原則とは聞いている。しかし大森の熊谷家の地下蔵のような見せ方は出来なかったのだろうか、と思う。  お金は掛かるが、あの大きな駐車場がトイレ休憩だけに利用されるようなことにならなければ、と思う。
新聞記事
4月8日(日)
快晴のち晴れ
沢谷三里桜を愛でながら歩こう会
昨日は私の発案で連合自治会文化体育部主催の、沢谷の桜を見ながら歩くウォーク『沢谷三里桜を愛でながら歩こう会』があり、ガイドを務めた。
7時の天気は曇り・気温2.7度と低く参加者は如何にと思った・・・・、案の定、集合場所の石楠花パークに集まった人数は7人(私とyamada部長を含めて)と少人数だった。今回もwatanabeさんとsugawaraさんが参加。
事務局のtanabe君のワゴンで出発場所の上川戸三叉路まで送ってもらい9時過ぎ出発。下乙原の道路脇の桜が開花していた。天気は小雨が降ったり止んだりところころ変わりカッパの上着は着たままだった。石原の桜街道もまだ開花には至っていなかった。12時前に九日市に到着。我が家によって頂きkunichanの作品を見てもらった。ふるさと邑智伝承館で昼食。kunichanがお茶とカップヌードルとそして汁粉を用意してくれていた。有難う!!1時20分過ぎに石楠花パークに到着。20分余りでエドヒガンの根元に着いた。先週の金曜日に危険箇所・急坂にロープを架けていたので楽だったと思う。エドヒガンの開花は未だだったが、蕾は沢山あり色も付いていた。記念写真を撮り下山・解散したのが2時半を回っていた。皆さん、開花の頃にもう一度お出でください。御疲れさんでした!!
ウォーク
植生
3月19日(月)
小雨後曇り
後晴れ
金星・木星最接近
先週の15日、金星と木星が再接近した由。私は前々日の13日に写真を撮っていた。
ファインダーに金星と木星が並んで入ったので喜んでいたがその2日後が最接近だったとは・・・・・残念!!13日の後は忘れていて撮り損ねた。新聞を見てがっくり!!だった。次はいつやら・・・・・。


木星と金星

木星

金星

火星
3月14日(水)
晴れ(大霜)
美郷町民の所得が島根県内最低!!
2009年度の島根県の市町村民経済計算推定値が発表され、美郷町民一人当たりの所得が1,849,000円で県内最低とのことだ。
所得は課税対象額、年収ではサラリーマンで2,900,000円余りになると思う。町内普通のサラリーマン(月給の人は少なく大半が日給か日給月給と思う)の年間労働日数は、週40時間制により労働時間が制限されているから、賃金が安いからと言って長時間働きたくても働けない。年間労働日数は272日〜273日しか働けない。これを先ほどの年収で割ると日給10,662円余りになる。これは土木関係者・職人さんの賃金(と思う)で、一般の人は最低賃金プラスの6,000円前後が大半じゃないかと思う。6,000円の272日は1,632,000円、半分に近い。平均所得には、何処までの人が対象になっているのか分らないのでなんとも言えないが、余りにも格差がありすぎる。今、物造りの世界はグローバル単価になり、どんどんと工賃が下っている。それにより賃金も上がることはない。上げることができない。一億総中流社会と言われた時代は過去の話、生活保護世帯もどんどんと増えてきている。又、自殺者も40〜60代の働き盛りばかりでなく、若年層が増えているとの事。現状に悲観してのことが多々あるようだ。如何にすれば・・・・・?!と思う。
3月11日(日)
曇り一時雪
銀山街道講演会
昨日(3/10)、午後1時より粕渕の山村開発センターで、平成23年度文化庁文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業の石見地域講演会『銀山街道の魅力発見』と題して、講演会があった。
講師は、島根県の古道研究家の池橋達雄先生、そして石見銀山資料館館長の仲野義文先生。御二人とも何度も来町頂き、町内の街道を一緒に歩き、講演をして頂いたりして、美郷町銀山街道を護る会には、おなじみの顔となっている方々だ。
聴講者は、町内外から70名余りがあった。遠くから来られた方も居る。福山のmurakamiさんは福塩線・三江線と乗り継いで来られ、リュック一杯のお土産を頂いた。ありがとうございました!!又お願いいたします。又、広島の中国経済連合会のmotookaさんは、午前中やなしお道を歩きたいからと友達ふたりと9時前に来られ、前もって頼んでおいた護る会のmatumotoさん・sibutyannの案内で一里塚までを歩かれ、その後聴講された。又天気の好い時に来たいとのことだった。府中からは、昨年から度々おいでいただいている市会議員で昨年の「銀の道フェスティバル実行委員会」事務局の棗田さんも来られた。久喜・大林からも久喜・大林銀山保全委員会の森脇さん他数名の方が来られた。一寸残念だったのは、毎回のことだが、一般の方・議員・町職員の出席が少なく関係者多数と感じた。
池橋先生の講演では、『一里塚跡など美郷町内の銀山街道沿線には国史跡に値する箇所が何箇所かあり、現在指定に向けて県と協力して準備されているようだが協力は惜しまない』と力強い言葉を頂いた。又仲野先生には、『徳川の平和を支えたこの道は、銀が通ったばかりではなく色々な物資・多くの人の出入り・中央の文化の流入など、当時としては一級国道だった銀山街道はこの地方に多大の貢献をした。過去の歴史を参考に地域活性に役立ってほしい』、と今までに無い話を聞くことが出来た。
チラシ

講演
資料展示
私の持ってる古地図の複製やガイド資料を展示した。

新聞記事
3月4日(日)
曇り後雨
上下雛祭り&節分草
昨日(3/3)、上下の雛祭にkunichanと行く。
雛祭り
雛祭りは4年前の2008年に行ったのだが、そのときと比べ変わっていたのは、吊るし飾りが沢山飾られていたことだ。そのときは街中で1箇所だけ販売されていた人がいるだけで、雛飾以外の飾は無かったと思う。聞くところによると、庄原にUターンされた方で吊るし飾を教える方が居られ、その方を講師に招いて教室が出来たようだ。街を上げて盛んに作っておられるようだ。詳細は後ほど2012リポートで。
我が家の雛飾は、今年は新作も飾ってあり賑やかだ。
節分草
1時過ぎ上下を発ち、節分草の自生地がある庄原の総領町へ向かう。25分余りで自生地に着く。カメラマンが何人か来ておられ、観光バスも止まっていた。上下の雛祭と節分草観賞のセットで来ている様だ。
島根県には自生地が無いようだ・・・・・?!始めてみた花で、イズモコバイモより一寸大きいかなと言うような花で、ユキワリイチゲと同じくキンポウゲ科で花も似ているようだ。平地と山の境界に生えるようで、最近は牛の飼料としての草刈をしなくなったため、家の周りとか墓所の周りに自生をして居るとのことだ。草刈をして手入れをしないと、どんどんと減って行くようだ。イズモコバイモカタクリと同じことのようだ。

2月26日(日)
小雪後曇り
第46回邑智郡小中学校剣道練成大会
今朝の気温0.2度で小雪が降っていた。9時より大和中学校体育館にて「第46回邑智郡小中学生剣道練成大会」があった。
木積スポーツ少年団の高学年と中学3年生は、大阪遠征で一寸淋しい大会だったようだ。でも残った小学生と中学1年生は奮起し、いい試合を展開し観客から大きな拍手をもらっていた。中でも小学低学年個人の部でtairakunn(1年生)は、準決勝戦にて2年生相手に延長戦を10分以上やったのかな〜〜〜、最後には1本取られたが立派だったと思う。他所さんの子ながら落涙・・・・・。
皆さん御疲れさんでした!!
2月21日(水)
晴れ後小雨
月例ウォーク
先日の日曜日(2/19)、やなしお道の月例ウォークに参加した。
朝7時の気温-9.4度と今冬最低気温を更新、でもさほどに寒さを感じなかった。5時半過ぎに起き、歩道の除雪を7時半過ぎまでに終え、朝食後「今朝の天気」の更新をし8時過ぎに家を出た。
役場裏にはwatanabesannn・kimurakunnと遠路三次から国交省三次河川事務所のsiokatasannが来られていた。8時半過ぎ、バス停に行く。直にkititotikunn
が来た。目の前の津の目山の雪景色に目を奪われていたら、粕渕の駐在さんが集合写真を撮ってくれた。kimurakunnは不幸があり、結局4人でバスに乗り込む。バスも通常の入り口からではなく、降口から乗った。今朝の凍みで開けると閉まらなくなるからと発券機も使用せず、運転手さんが『12番です』と言われた。まあ〜〜乗客が少ないからできる事でしょうな〜〜。
バスが遅れてきたので別府着も9時半過ぎだった。
ウォーク:午前
9時半過ぎ、君谷別府バス停降車。やなしお道入り口:9時43分。入り口からいきなりの登り、これが皆さんきついようです。十王堂着:10時8分、竹林が見事な様を見せてくれていた。邑智北農道:10時30分、雪のため見るものが少なく結構早い。七本槙:11時8分、1,000万のバイオトイレで用を足す。一里塚手前の第2休憩所:11時38分、頭上の雪の落下が気になり街道の真ん中で昼食を摂る。
ウォーク:午後
食事後直ぐに立ち、ウォーク再開。ぽうぽう坂入り口:12時25分、昨年末に地籍調査のために伐開してあり雪もあり歩き易くなっている、が今回は見合わせ。来月のお楽しみとする。私の一番のお気に入りの第3土橋:12時33分、何時もの如く記念写真を一枚!!積雪40cmのコウヤミズキ自生地を過ぎ再進坂峠着:13時28分。ここからは登りはなく二つの土橋を通過し三瓶山展望所着:13時50分。ここからは下るのみ。荷置石:14時6分、石の上の積雪30cm。その先でなにやらkititosikunnが・・・・・、雪ダルマを作ってました。腰痛コンビで作ったダルマ、結構可愛い!!再挑戦したダルマ、1m余りに成ったが石に乗り上げあえなく大破。写真撮り損ねた!!残念!!中の休み:14時17分、曰くの石塔も雪を被り・・・・。やなしお坂下:14時35分、お疲れ〜〜〜!!ここからが結構長く役場着:15時10分。積雪30cm〜40cmの中御疲れさんでした!!
植生など
新雪の中そこそこ色々なものが見られ、結構楽しかったんじゃないかな?と思った。十王堂の竹林、この時期でしか撮れない写真が撮れたかな?と思う。今回は予想以上に猪が歩き回り、先を越され残念だった!!
新雪を 踏む楽しさの 雪の山 猪に越されて おお〜〜残念
参加の方々、御疲れさんでした!!
1月28日(土)
曇り一時晴れ
とんど焼き
今日は、沢谷連合自治会体育文化部主催の『とんど焼き』が沢谷交流センターグランドであった。
沢谷では『とんど焼き』の風習は無かったと思うが、正月飾りなどの始末には皆さん頭を痛めておられたと思う。我が家も保育園児が居る間は保育所の『とんど
焼』で焼いてもらっていたが、末っ子のhinachanも小学4年生。最近は川に流したり、便があれば他所の『とんど焼き』で焼いてもらっていた。これからは、地元で安心して始末が出来る。
準備
8時より準備。前日に中心に成る竹は立てられており、丸太を割り井桁に組んで中に燃えやすいものを入れ、周りを杉の枝(12月始めに裏の畑の隅にある杉の
枝打ちをしたものを持参)で囲い、注連飾りなどを載せて完成。初めてのことなので、皆で「ああだ、こうだ・・・・・」と評定しながらやっと9時前に完成。
開会挨拶
8時半過ぎより三々五々人が集まられ、沢谷保育所の園児や先生・保護者も来られ祭壇の準備も整い、9時より開会。fukuma沢谷連合自治会長の挨拶の後、takahasi宮司さんの「とんど焼き』についての話があり、神事に移った。
神事
takahasi宮司さんにより祝詞が上げられ、関係者代表の玉串奉典の後火入れに移った。
火入れ〜火落とし
肥松に火をつけ火入れ。やはり灯油のお世話にならぬと火が思うようには点かなかった。勢いよく煙が上がり、火が完全に点きどんどんと火が大きくなり、時々
『ぱんっ』と大きな音で竹が割れたりして、大人たちは喜んで火悪さ。『火悪さをしとりゃー寝小便が出るでー』『火悪さをせんでも直にもつきを抱えるようになら
ー』と、ワイワイがやがや。久方振りの大火を前に皆賑やかだった。10時過ぎに中心の竹も倒れ(四方へ引っ張り根元は鉄筋で支えていたので、途中竹が割れても最後まで倒れなかった)たので、ある程度燃やしてから水を掛け消化し片付けた。
ぜんざい
火がある程度点いた頃から会場に居た人たちに甘〜〜いぜんざいが振舞われ、私は4個(その後焼餅1個入りを1杯)入れて貰って食べた。
参加された皆さん、寒い仲ご苦労さんでした!!
立ち昇る 煙に託す 願いあり 皆の幸せ 日本の再生 
1月25日(水)
広瀬旭荘山陰紀行
今朝の最低気温-3.5度積雪7cm、最高気温0.0度と上がらず雪は一日中降ったが夕方の積雪は17cmと思うほどではなった。
大分の儒学者広瀬旭荘は、安政元年12月7日(1855年1月24日)午後1時、四・五十年振りの大雪という積雪60cm余りの大森を出発。積雪120cmの七本槙(やなしお道入口から2km余り)を通り、幾種類もの獣の足跡を見ながらやなしお坂を下り小原宿(粕渕)に着いたのが深夜の1時。
明くる12月8日(1月25日)午前10時、積雪110cmの小原宿を出発。午後4時過ぎに半駄が峡(昔のしの七曲り)をやっと過ぎ九日市宿に着いたのは夕方だった。
(参考文献:出雲市教育委員会発行『広瀬旭荘山陰紀行』。当地には石見銀山街道という当時では一級国道が縦断していたお陰で、広瀬旭荘のほか伊能忠敬も測量日記を残し、又福山藩初期の水野時代の文書にも半駄が峡の詳細な様子が記録されている)。
最近はこんな大雪は降らなくなったが、3・4年に一度80cm余りの積雪を記録することがある。今年は如何に・・・・。
広瀬旭荘山陰紀行
今日の貝の平

正午

貝の平を中心に

午後5時過ぎ
1月18日(火)
晴れ後
一時快晴!!
後曇り
やなしお道月例ウォーク
一昨日のの日曜日(1/15)はやなしお道の月例ウォーク、雪中オークとなる筈だったが・・・・・。
ウォーク〜午前
何時ものように役場裏駐車場に8時半過ぎ集合。今回は会員3名・一般の参加者3名の6名だ。何時ものように役場前のバス停から石見交通バスに乗車。別府で降りウォーク開始。
やなしお道へ入ったのは9時半過ぎ。雪は日陰のところにしかない。茶縁原では曇っていたが三瓶山がくっきりと見えた。ラッキ〜〜!!11時過ぎ七本槙到着。昼には早いのでウォーク続行。11時40分過ぎ、一里塚手前の第2休憩所で昼食。今回もカップめんを持参、皆さん冷えた身体が温もったようだ。今回初参加のsugaharasannは、違ったぬ温もりを起こす飲み物を持参され楽しんでおられた。
ウォーク〜午後
食後のコーヒーを飲み30分余り休憩し12時20分過ぎウォーク再開。
ぽうぽう坂では坂道へ覗いてみた。1m余りの広い道で昔は湯抱へ抜ける道だったと思える道だ。大名岩の峠下のくぼみにはまだ沢山雪が残っていた。街道筋で一番冷え込むところに思える。多い時は30cmは積もっていたのじゃないかと思う。段々と天気が悪くなり、三瓶山展望所では三瓶山が霞む手前で何とか写真には撮れたが、雪が白く光り輝く三瓶山が撮れず残念!!
3時前にやなしお坂を降りた。今回も才ヶ原のsugitanisannご夫婦が熱いお茶を用意して待っててくださった。毎度おおきに!!、です。役場駐車場に到着したのは3時半過ぎ、御疲れさんでした!!来月もあります、2/19(日)です。是非ご参加を!!
植生
花は殆ど無く春へ向けての花芽や木の実が大半だった。才ヶ原でロウバイが咲いていた。
ケモノの足跡など
今回は雪が少なかった為かケモノの足跡が沢山あった。タケノコ堀をしていた猪、ぬたすりをし彼方此方の木にこすりを掛けた猪など猪の足跡は一杯あった。
ウサギも3箇所くらいで足跡を見た。又、志君川で亀を見た。冬眠をしていないのだな。
冬眠をして居る筈の見なくても好いものを見てしまった。熊の足跡、木への引っかき傷。子熊のようだが恐ろしい。母熊が一緒の筈だ。小人数でのウォークは
厳禁だ。
今回も松の倒木が彼方此方にあり、小さいものは片付けたがチェンソーでないと切れない大きなものあり、4月のイベントのウォークまでには片付けないと凄く危険、と思った。松枯れが現在も進行して居るようで枯松が一向に減らない。松枯れの状況などはウォークに参加したsyoujikunnのブログからどうぞ
1月14日(土)
晴れ後曇り
2週間遅れの御来光
今朝の天気晴れ、気温‐1.8度。今年初めての晴れ。
今朝kunichanが美容院に行くと言うので送って出る。今朝は今年初めての晴れ、石原の直線ではたと気付いた。今年初めての御来光?!九日市とは違った方向・位置で見えた。時間的にも早い、と思った。kunichanを送って返り九日市宿展望所に駆け上がり(久方振りに一気に上った)、日の出を撮った。一寸遅かったが何とか撮れたと思う。
保関大滝
今日は休み、午後気になっていた保関の滝を見に行く。
昨年の初め、石見銀山地質研究会のメンバーと呑まず井後の間歩を見ての帰り、保関奥の間歩を見に行く途中発見(見えた)した滝。草木が茂って定かでなかったので雪に押されて見えるかなと出かけた。見えた!!谷全体が滑で、谷のテッペン(テッペンは低い谷に成っており、奥から水が流れている。谷奥は来島の川尻にある黒谷のようだ)から下までその滑を縫って水が流れていた。水量が一寸少なく3段に成ってるのかな?高さ的には30m以上50m未満(地図上では一目盛り50m位に見えるが・・・・?!)かな?と思う。藪切りをすれば林道(町道保関線)から良く見え、結構な滝と思う。
1月5日(木)
曇り
出初式
曇り・最低気温-2.0度・積雪23cmの寒い朝、今日は美郷町恒例の出初式。
mottyan達美郷町消防団は7時半召集のサイレンで邑智小学校校庭へ集合(私は6時半過ぎより地内の歩道の除雪)。通常点検の後邑智会館にて出初式。その後11時15分(予定では11時から)より粕渕商店街の行進そして浄土寺沖の河原にて放水。美郷町は現在無火災230日?を更新中。今日の勇ましい行進・放水を見ると安心する。それにしても行進・放水のギャラリーが少なかった。もっと町民の方に見て頂き、声援を送って欲しい!!(港のyanosann宅の娘さん夫婦〜神戸から帰省中〜はお子さんに見せるため、10時半過ぎから待って待って行進を見て、その後放水まで見て神戸に帰られた。子供のためとは言え、寒い中2時間余りの間子供さんを抱いての事だ。感謝です。)
1月2日(月)
小雪後晴れ
鐘撞
年末恒例の鐘撞。紅白歌合戦が終わり円立寺から鐘の音が聞こえ出した。12時丁度頃一家内で出かけた。もう何時も人達が来ておられ、全家族の写真を撮り損ねた。今年は我が家の前のhadanosann宅にもtaksikunnが娘さんを連れて帰っていたので誘った。皆さん色々と願いを込めて撞かれたことと思う。私も家内安全・商売繁盛と気合を入れて撞いた。その後何時もの様に本堂で酒盛り。今年は一寸人数が少なかったようだ。1時半過ぎまでkunichanと居て、片づけをして帰った。朝にはご来光をと思って寝た・・・・・。
年始め
7時半過ぎ目が覚めた。あわてて外に出たが小雨が降り御来光は望めそうに無かった。温かくして九日市宿展望所へ。もやが掛り余り好い写真とならなかった。
8時半過ぎ一家内で記念写真を撮り、御屠蘇(池月酒造の「名馬の里のピンク」酒)を飲んで新年を祝った。昼前は雨が降り初詣はせず、テレビ観賞。午後になっても雨がや止まないので皆で車にて(チビ太は宿居り初詣した。yuudaikunは今年校受験、天神さんに必勝を祈願した。